由緒

 文子天満宮の御祭神、菅原道真公は、太宰府への左遷の後、失意のうちに亡くなられました。その後天候不順や政治の混乱が続き、人々はそれらの災いを道真公の怨霊が原因だと恐れました。 
 天慶5年(942)道真公は、道真公の乳母(うば)をつとめていた多治比文子(たじひのあやこ)に、北野の右近の馬場(現在の北野天満宮の地)にまつってもらいたいと託宣(お告げ)され、文子は自分の家の庭に小さな祠 (ほこら)をもうけ、道真公を拝んでおりました。その後、天暦元年(947)6月9日に北野天満宮が創建されました。
 このように北野天満宮が創建されるきっかけをつくったのが、多治比文子だったのです。
 当社が「北野天満宮の前身神社」と称する由縁であり、文子天満宮は菅原道真公を「天神」として、わが国で最初におまつりをした神社であることから、「天神信仰発祥の神社」と位置づけらており、全国から受験生やその家族が参拝されております。又、文子天満宮という名称から、お名前が、あやこさん、文子(ふみこ)さん、あやかさん、あやさん、あやのさん等、お名前にあやという文字が入っておられる方からは守り神として崇敬されています。


本殿御祭神    菅原道真公 

相殿         伴氏(菅公御母君)是善公(菅公御父君)多治比文子(菅公乳母)の三柱

文子殿御祭神   菅原道真公  多治比文子(菅公乳母)

末社
    白太夫社  御祭神 渡会春彦翁 (子宝の神) 
    老松社    御祭神 島田忠臣翁 (植林林業の神) 
    福部社    御祭神 十川能福 (開福招福の神) 
    火之御子社 御祭神 火雷神 (雷除け、五穀豊穣)
    白瀧稲荷  御祭神 宇迦之御魂神 (商売繁盛)